「国宝」(吉田修一原作 2025年映画版)

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
国宝.jpg
吉田修一さんの原作小説を、
「悪人」などの李相日監督が演出し、
吉沢亮さんと横浜流星さんがダブル主演(実際には吉沢さんが主役)した、
本格的歌舞伎映画の大作が今ロードショー公開されています。

3時間近い長尺なので、
これは観られるタイミングで観ないと、
観逃すと思って夜の映画館に足を運びました。

これは好き嫌いはあると思うのですが、
力感溢れる大作で映像は美しく、
歌舞伎映画というか日本の芸道映画としてはかなり画期的な、
歴史に残る作品だと思います。

原作は元が朝日新聞の新聞小説で、
良くも悪くも新聞小説的な作品です。
日本の戦後芸能史を俯瞰する、
というような感じの構想で、
主役はヤクザの組長を父に持つ歌舞伎の女形ですが、
そこに大相撲の力士や経済ヤクザ、
不遇な境遇から成りあがるお笑いタレントなども絡み、
群像劇的にエピソードを連ねて展開されます。
タッチは軽く、
勿論印象的な場面やエピソードもあるのですが、
全体としては紙芝居的で、
かなりベタで薄っぺらな印象です。
主人公のモデルは、
勿論その生い立ちなどは別ものですが、
その芸歴や十八番の芝居については、
玉三郎丈を元にしています。
長老の女形のモデルも歌右衛門丈であることは、
明確な感じで書かれています。
それ以外にも、
「戦場のメリークリスマス」をモデルにした映画に、
主人公が出演するパートなど、
かなり安手のパロディめいたエピソードが多いことも、
原作の特徴であるように思います。

映画版は、
内容を主人公の女形としての芸道の部分に、
明確に絞り込んでいて、
お笑いタレントも力士も、ヤクザも、
全く登場しません。
これは1本の映画として完成させるには、
それ以外の方法はなかったように思われます。
ただ、主人公が出演する映画のエピソードなどもカットしたために、
物語の繋がりが、
所々分かり難くなってしまったきらいはありました。

また、登場する歌舞伎劇は、
「娘道成寺」、「鷺娘」、「藤娘」の舞踊劇と、
「曽根崎心中」のみで、
原作に登場する「隅田川」、「阿古屋」などは、
映画には登場しません。

これは、歌舞伎を歌舞伎役者ではない俳優が演じる、
というこの作品の性質上、
止むを得ないことだったのだと思いますが、
主人公の芸の何が素晴らしかったのか、
という一番肝心の点が、
説得力を持たなかった一因となっていたように感じました。

このように不満もある本作ですが、
その多くは原作に由来するもので、
映画版はそのエッセンスのみを抽出して、
相当頑張って1本の優れた芸道映画に仕上げていたと思います。

特に前半と後半の2回の「曽根崎心中」の場面は、
現実と舞台とが強烈に交錯する趣向が素晴らしく、
映像、編集、役者の3者が高いレベルで調和した、
芸道映画として屈指の名場面であったと思います。

最後に意外な人物として登場する主人公の隠し子は、
原作では「積み木崩し」の趣向になっていて、
盟友のヤクザと薬物中毒の娘を救い出すという、
ベタな活劇を展開するのですが、
それを採用することをせずに、
断裂した親子の無残さを、
ラストに映像的に表現した趣向もなかなかだったと思います。

ただ、ラストは、
要するに人間であった主人公が、
人間ならざる領域に足を踏み入れる、
ということだと思うのですが、
原作では主人公が舞台を終えると、
衣装のまま客席に降り、劇場を出て、
そのまま道路に飛び出すという、
鮮烈な描写であるものを、
映画版は何か卑小な呟きと闇とでまとめてしまって、
これは「グリーン・デスティニー」や、
「ラスト・オブ・モヒカン」のラストと同じ性質のものなので、
もっと鮮烈で衝撃的で死の匂いのする、
映像的なラストであって欲しかった、
という思いはありました。

いずれにしても、
近年稀に見る力感に溢れた大作芸道映画で、
是非映画館でご覧頂きたいと思います。

なかなかですよ。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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