北向山不動院半跏不動明王像

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。
明日からは通常通りの診療に戻る予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
北向不動院.jpg
京都の定例の非公開文化財特別公開の一環として、
伏見区にある北向山不動院の秘仏本尊、
半跏不動明王像の特別公開が行われました。

通常は1月16日のみ開扉の秘仏なので、
これは一度は拝ませて頂きたいと、
早速に足を運びました。

場所は平安京の南、
伏見の鳥羽離宮の跡にあって、
幕末の鳥羽伏見の戦いの現地でもあります。
今は住宅地の中、
その部分のみモザイク状に緑が残された、
京都では侘しい風情のあるところです。

本堂の後ろにある収蔵庫の中に大きな厨子が据えられていて、
その中に迫力のある不動明王がおられます。

そのお姿が上記の画像で、
これは今回の特別公開のポスターになっているものです。

ほぼこの通りの迫力のある御姿で、
今回は厨子の目の前でじっくりと拝観させて頂くことが出来ました。

この像の仏像史的特徴としては、
右足を下した半跏位という、
他の例のない御姿であること、
造仏年代が平安末期で確定していて、
目にガラス玉を入れる、
玉眼という手法の最初期の作例
(長岳寺本尊に次ぐ)であること、
運慶の直接の祖の1人である、
康助という仏師の、
確定している唯一の作例であること、
などがあります。

実際に拝観すると、
そのデフォルメされた動きのある感じが、
とても平安末期の作とは考えにくいという印象を持つのですが、
運慶のダイナミックさであるとか、
快慶作の不動明王の凄みのようなものとは、
また別種の印象があるのですね。
ただ、醍醐寺に残る五大明王像などを観ると、
江戸時代に造られたものよりも、
平安時代の作の方がデフォルメの利いた、
アニメチックなフォルムになっているので、
おそらく平安時代には、
こうしたアニメチックな造仏の流行が一部にあって、
それが何等かの原因で現存はあまりしていない、
おそらくは意図的に後の時代に消去されたのではないか、
というようにも思えます。

説明によっては後の運慶を先取りした、
というような見解が見られるのですが、
実際に拝観した印象としては、
決してそうではなく、
運慶の完成度の高いダイナミックさの藝術性とは、
もっと別個の古代のエネルギーのようなものを、
このお不動様には感じるように思います。

いずれにしても周辺の侘び寂びの気配と共に、
只ならぬ古代の畏怖を感じさせる、
素晴らしい仏様であることは間違いがなく、
幸せな気分でお寺を後にすることが出来ました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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