Nana Produce Vol.22「熱風」
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

鵺的の鬼才高木登さんの新作が、
こちらもアングラ演出の当代隋一の鬼才、
寺十吾さんの演出で上演されています。
この組み合わせでは観ない訳にはいかないと、
新宿のサンモールスタジオに参戦しました。
高木登さんの作品は、
「奇想の前提」を観たのが最初で、
それから「死旗」、「悪魔を汚せ」、「バロック」に足を運びました。
全て寺十吾さんの演出です。
中では「死旗」がちょっと度肝を抜かれるような、
悪趣味上等のアングラ芝居で、
こういうのをジャンジャンやって欲しいな、
と思っていたのですが、
あまりそうなならなかったという気がします。
ゴキブリコンビナートの戯曲を、
寺山修司が演出したような怪作でした。
今回の作品は90分ほどのコンパクトな家庭劇で、
最初はかつての山崎哲さんの「嘔吐すべき家庭劇」のような雰囲気で、
そのまま突っ走るのかと思っていると、
途中はポツドール風の描写があり、
後半は割合と古典的な家庭劇のパターンが展開されました。
ラストは凄惨なクライマックスを期待する気持ちがあったのですが、
そうはならず、
残酷絵巻の寸前で断ち切るように終演となる、
寸止めのようなラストになっていました。
悲惨な場面は観客の頭の中で妄想させるという、
こういう寸止めのラストは、
イプセンなどに通じる古典劇的なものですが、
こうしたラストに持っていくには、
その前の本来のクライマックスのドラマが、
ちょっと弱いという気がしました。
この感じであれば、
ラストまでやって欲しかった思うところですが、
作者の狙いは明らかであるので、
そうであるのであれば、
もっと人間ドラマが深く意外な展開を見せるような、
役者がその家族の仮面をはぎ取って、
本性を見せるような場面が欲しいと思います。
現代的な優れた構想力と発想に支えられた戯曲だと思うので、
是非是非後半を改稿して頂いて、
より戦慄的な作品に昇華させて頂きたいと思いました。
役者では舞台では初めて見た小出恵介さんが、
ちょっとこれまで経験のないような、
異様な存在感のある演技で、
これはもう衝撃的でしたし、
とても感銘を受けました。
存在自体に凄味があって、
殆ど無用な動きはしませんし、
表情も大きく動かすことはなく、
台詞もボソボソと喋るだけなのですが、
それでいて演技としては完成されていて、
そのちょっとした目線の動きだけで、
何を思っているのか観客にはビシビシと伝わります。
小出さんのお芝居を観ただけで、
今回は充分元は取った、
という気分になりました。
ただ、他のキャストのお芝居とは、
全くその質感もレベルもかけ離れているので、
今回の座組としては、
あまり成功であったとは言えません。
若い年齢の2人を演じたキャストは、
ポツドールを彷彿とさせる、
肉体の欲望を押し出したような自然派の芝居でしたし、
他のキャストは絶叫したり、棒読みを貫いたり、
ただただ睨んでいたりと、
所謂類型的なアングラ芝居で、
これは能に由来する様式美から、
鈴木忠志さんが体系化したものを、
山崎哲さんが通俗化した手法ですが、
そこに1人だけ孤高の芸術派の小出さんが混じるというのは、
アングラ演出の名人寺十吾さんの手腕をもってしても、
1つにまとめ上げるのは難しかったようです。
そんな訳で非常に刺激的な舞台ではあり、
戯曲にも魅力があったのですが、
高木さんの作品としては完成形とは言い難く、
またキャストも変え、
内容もブラッシュアップしての再演に期待をしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

鵺的の鬼才高木登さんの新作が、
こちらもアングラ演出の当代隋一の鬼才、
寺十吾さんの演出で上演されています。
この組み合わせでは観ない訳にはいかないと、
新宿のサンモールスタジオに参戦しました。
高木登さんの作品は、
「奇想の前提」を観たのが最初で、
それから「死旗」、「悪魔を汚せ」、「バロック」に足を運びました。
全て寺十吾さんの演出です。
中では「死旗」がちょっと度肝を抜かれるような、
悪趣味上等のアングラ芝居で、
こういうのをジャンジャンやって欲しいな、
と思っていたのですが、
あまりそうなならなかったという気がします。
ゴキブリコンビナートの戯曲を、
寺山修司が演出したような怪作でした。
今回の作品は90分ほどのコンパクトな家庭劇で、
最初はかつての山崎哲さんの「嘔吐すべき家庭劇」のような雰囲気で、
そのまま突っ走るのかと思っていると、
途中はポツドール風の描写があり、
後半は割合と古典的な家庭劇のパターンが展開されました。
ラストは凄惨なクライマックスを期待する気持ちがあったのですが、
そうはならず、
残酷絵巻の寸前で断ち切るように終演となる、
寸止めのようなラストになっていました。
悲惨な場面は観客の頭の中で妄想させるという、
こういう寸止めのラストは、
イプセンなどに通じる古典劇的なものですが、
こうしたラストに持っていくには、
その前の本来のクライマックスのドラマが、
ちょっと弱いという気がしました。
この感じであれば、
ラストまでやって欲しかった思うところですが、
作者の狙いは明らかであるので、
そうであるのであれば、
もっと人間ドラマが深く意外な展開を見せるような、
役者がその家族の仮面をはぎ取って、
本性を見せるような場面が欲しいと思います。
現代的な優れた構想力と発想に支えられた戯曲だと思うので、
是非是非後半を改稿して頂いて、
より戦慄的な作品に昇華させて頂きたいと思いました。
役者では舞台では初めて見た小出恵介さんが、
ちょっとこれまで経験のないような、
異様な存在感のある演技で、
これはもう衝撃的でしたし、
とても感銘を受けました。
存在自体に凄味があって、
殆ど無用な動きはしませんし、
表情も大きく動かすことはなく、
台詞もボソボソと喋るだけなのですが、
それでいて演技としては完成されていて、
そのちょっとした目線の動きだけで、
何を思っているのか観客にはビシビシと伝わります。
小出さんのお芝居を観ただけで、
今回は充分元は取った、
という気分になりました。
ただ、他のキャストのお芝居とは、
全くその質感もレベルもかけ離れているので、
今回の座組としては、
あまり成功であったとは言えません。
若い年齢の2人を演じたキャストは、
ポツドールを彷彿とさせる、
肉体の欲望を押し出したような自然派の芝居でしたし、
他のキャストは絶叫したり、棒読みを貫いたり、
ただただ睨んでいたりと、
所謂類型的なアングラ芝居で、
これは能に由来する様式美から、
鈴木忠志さんが体系化したものを、
山崎哲さんが通俗化した手法ですが、
そこに1人だけ孤高の芸術派の小出さんが混じるというのは、
アングラ演出の名人寺十吾さんの手腕をもってしても、
1つにまとめ上げるのは難しかったようです。
そんな訳で非常に刺激的な舞台ではあり、
戯曲にも魅力があったのですが、
高木さんの作品としては完成形とは言い難く、
またキャストも変え、
内容もブラッシュアップしての再演に期待をしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
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